not simple

ミュンヘンでファッションを学んでいる22歳


このブログを存在を忘れてた




気持ちは、いつだって手にとって眺める事は出来ないけれど
感じる事は出来る。
はじめに感じた事が、一番正しい。そのままでいい。
そのままで、いいんだ。

だけど、はじめに感じた事が、自分の気に落ち着かないと
所々に理由を欲したり、伺ったり、勝手に掘って見つけて繋げたり。
その過程を人は「たしかめること」やら
「きづき」だとか。
そう呼んだりする場合もあるし
そこからうたがうまれる場合もあるけれど
不毛なものとして憔悴する事も多い。

そんな気が狂いそうな動作を続けながら
3周まわって、はじめに感じた事にいつも戻ってしまうのだから
はじめに感じた事を、信じよう。

まっすぐ、まんなかで。




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昔、「まんなか」という物に対して
沢山語り合った事がある。
まだ、私に語り合うという情熱と
語り合うその相手が居た頃の話。
そして、ゼロかヒャクか。それしか出来なかった頃の
それしか存在しなかった頃の私と
ゼロとヒャクではない、その空間に
私なぞよりずっと先に気づき、
求め、抗っていた人の話。
そんな事を、ぽつんと思い出した。

そして、立場や、足を置く場所という種類の物としてではなく
気持ちにも「まんなか」があるのだと気づく。

まんなかの、きもち。

それ、感じて、伝えて、生きられたら
きっと凄く格好良い。

でも残念ながら、私は特技「ぶれる」を発揮する事が多いので
まだまだその道はとても遠い。


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昔、パパに云われた。


「じぶんができる全てのことを

 他人もできるとは思ってはいけないよ。」


私はとるにたらないにんげんだと
そう ため息を交えて 漏らした。
私はこんな歳になってもまだ
その言葉を認められずにいるし、
恐れている。

「私が出来る事なんて、誰でも出来るよ。」

たったそれっぽっちの思想で
たったこれっぽちの私をまもっている。


やぱり残念ながら、私は特技「ぶれる」を発揮する事が多い。